11.23.21:36
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03.08.10:45
2009 12.3 Holly's Live 2 stage
ラテン満開の1ステージ目が終り、ちょいと
休憩した後、2ステージ目が~♪
2ステージ目のメインは、先ほども紹介した
tania ちゃん ↓ (⌒-⌒)ニコニコ...
← 左はベースの宗川さん♪
なんか、みょーにハイテンション???
では、盛りだくさんの2ステージ目のセットを~
1:素敵なあなた
Bei Mir Bist Du Schon
(バイ・ミア・ビスト・ドゥー・シェーン)
この曲は、1933年のイディッシュ語(ユダヤ人の言語)のミュージカルのために
ジェイコブ・ジェイコブスが作詞しショーロム・セクンダが作曲したもので、
本来は、アメリカのユダヤ社会以外では知られることなく終るであろう曲でした。
サミー・カーンは、アポロ劇場でこの曲を聴いた時、
イディッシュ語の歌詞が全くわかるはずのない黒人観客たちに非常に受けていたのが気にかかったので、
彼は帰りに楽器屋に寄って、この曲の楽譜を買ってきて、
トミー・ドーシーにこの曲をレパートリーに入れるように勧めたところ、
ドーシーはイディッシュ語の曲なんてダメだということで全く取り合わなかったと言います。
それで、カーンはこの楽譜を自分の家のピアノの上に置きっぱなしにしておいたのですが、
数日後、アンドリュー・シスターズの三人姉妹がカーンの家に来た時に、この楽譜に目をとめて、
その中の一人が「なあに、これ、どんな曲なの?」と言ったので、
カーンはそれを弾いて聴かせると、彼女たちはすぐに歌い始め、
「この楽譜をもらえないかしら?」と言ったので、カーンは「どうぞお好きに」と答えると、
彼女たちはすぐにその楽譜を持ち帰ったと言います。
そして、レコード化へと話は進むのですが、
レコード会社のワーナー・ブラザースは、イディッシュ語ではダメだということでカーンに英語の詞を依頼します。
そして、さらにレコード会社の要望で、コーラスと同じくらいの長さのヴァースを、
カーンとコンビを組んでいた作曲家のソール・チャップリンが作って、この曲は完成しました。
1937年、アンドリュー・シスターズのレコードはヒット・チャートで5週間も1位になり、
ミリオン・セラーになりました。
それは、彼女たちにとっても、カーンにとっても最初の大ヒットの曲でした。
翌年の1938年に、ベニー・グッドマン楽団がカーネギー・ホールでこの曲を演奏した時、
聴衆が手をたたき足でリズムをとり、ものすごい騒ぎになり、演奏が何も聴こえなくなったと言います。
カーンはユダヤ系なので、イディッシュ語を理解できたということが、
この曲を世に出すきっかけになったということです。
2:I can't give you anything but love
1928年、ブロードウエイでは最初の黒人ばかりのレビュー【ブラックバードオブ1928】に挿入されたもので、かなり古い。 黒人ばかりといっても出演者だけで、この作詞・作曲はいずれも白人である。
制作演出のリューレズリーは26年にロンドンでレビュー【ブラックバード】を成功されていて、いわばそのアメリカ版というところだった。
10年、20年代はまだロンドンが音楽界では幅をきかせていて、ロンドンでヒットすることがミュージカルやレビューの成功の条件だった。中にはアメリカで ヒットしてもたいていロンドンへ持っていって興行をうち、いわばお墨付きをもらうというようなケースもあった。このレビューは以後も続編が30年、33 年、39年と上演されるが、518回も続いたこの28年版ほどは成功していない。特に最後の39年のものはリナホーンが主演したが、たった7回で終わって いる。30年代から50年代かけてはアメリカは不況、戦争、右傾化という道をたどるかな、逆に黒人に対する差別も強くなっていく。太平洋戦争に勝利し、朝 鮮戦争へと入っていく時期はハリウッドのたわいないおとぎ話のような映画の全盛期でもあり、このころは黒人ばかりの映画は必ず失敗すると言われた。アンド レプレビンが音楽を担当した黒人ばかりのミュージカル映画「ポーギーとベス」も素晴らしい出来にもかかわらず失敗で、この不文律が口にされたものだった。 したがってこの28年版が成功したということには、もっと大きな意味があるのかもしれない。
3:Orange colored sky
1950 Nat king cole
道を歩いててある女に一目惚れしてしまう、その時の様子を歌った曲で、オレンジ色の空から稲妻が走って自分はそれに打たれ、ガラスが飛んできて天井はおちるわ床は抜けるわ、大変な曲のよーです。
曲の中に"Timber"と叫ぶところが出てきますが、これは木を切って倒れる時に「倒れるぞ!気をつけろよ!」という掛け声だそうで、自分が自分に「気をつけろ、あいつに惚れちゃいそうだ!」と言い聞かせる、そんな歌詞が出てくる曲です。
4:The five pennies ~ Lullabye in ragtime
時は1924年、禁酒法の時代。ユタ州の田舎からニューヨークに出てきたコルネット奏者レッドニコルズ(ダニーケイ)の物語。ニューヨークに出てきた彼 は、バンド仲間と、歌手の女性二人と、あるクラブへやってくる。そこで、飛び入りで、ルイアームストロングとリ・パブリック讃歌を共演する。
その後、彼はあちこちの楽団でコルネットを吹くが、自分のスタイルと合わないため、次々とシゴトを移っていく。そして、彼がリーダーとして作った楽団、 「RED NICHOLS & FIVE PENNIES」で新しいスタイルの音楽、デキシーを発表して大人気になる。FIVE PENNIESのメンバーがまたすごい。ジミー ドーシ、ベニーグッドマン、そしてグレンミラー。彼らは全米各地を転戦する。そんな時、一人娘が小児マヒにかかってしまう。娘をかまってやれなかった彼 は、自責の念かられ、バンドを解散、大事なコルネットを川に投げ捨ててしまう。そして娘のリハビリに専念する。しかし、娘の心は彼から離れてゆき孤独な 日々を過ごす。日々は過ぎてゆき、彼は造船所で働いていたが、家族の応援を得ながら再びコルネットを手にする。彼の復帰の舞台でこの感動のエンディングが 訪れる。今まで歩く事ができなかった娘が、、ついに立ち上がれるようになる。二人でダンスをする。バックに流れる、「五つの銅貨」…思わず涙が流れてしま う。
そして、ある夜、眠れない娘のために歌いかける。
5枚の銅貨に5つの願いを込めて…1枚めの銅貨は願いをかなえてくれる銅貨、2枚は夢をかなえてくれる銅貨、3枚めはダンスを、4枚目は笑いを与えてくれ、5枚めは一番大事な銅貨、愛を与えてくれる。そしてこの5枚の銅貨を持っていれば百万長者になれると。
Lullabye in ragtimeは、リコちゃん(↓)が歌いました。
5:今の私をみせたいわ
If my friend could see me now
映画「有頂天ホテル」でYOUが歌ってた曲ですよ~
6:Oldies medley
Vacation ~ Loco-motion ~ Mr.twister
これは、お客さん総立ちの中演奏しました~
みんな、とても喜んでくれてたなぁ~(⌒-⌒)ニコニコ...
7:東京ブギウギ
さっきのツイストダンスに輪をかけて
盛り上がりました。
演奏のバージョンは「ユニコーン」のツイスト
バージョンでやりました。
8:オジー自慢のオリオンビール
BIGINの曲。
かなり沖縄っぽい曲です。
この曲を、”さんしん”のゲストを迎え入れ
さらに沖縄チックにグレードアップさせ演奏~♪
あ~っ、タコライス持ってきてくれーっ!
9:キャバレー
1972年にアメリカで制作されたミュージカル映画。
1966年のオリジナル舞台版をもとに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが映画版を製作、1972年に公開された(舞台版とはとはエンディングが異な る)。同年度の第45回アカデミー賞では、サリー役のライザ・ミネリの主演女優賞、舞台版と同じエムシー役を演じたジョエル・グレイの助演男優賞、ボブ・ フォッシーの監督賞など、8部門を受賞した。
この曲も、やり応えありました。
10:クリスマスメドレー 2001
まさに初見一発で頑張りました。
最後の最後まで、集中しっぱなしぃ~
以上のメニュー♪
( ̄u ̄;) ハァハァゼェゼェ…
でも、楽しかったなや~っ♪
この日遊びに来てくれた「ゆきんこ」ちゃんと彼。
私が器材を片付けていると.....。
ゆき:「ヘルニアが~ヘルニアがぁぁぁ~」
彼:「っしっしぃぃ~」
という音声が聞えてきたので、写真とりました。
意味は?です。↓
ステージが終り、半ば壊れていた宗川さん~
↓
休憩した後、2ステージ目が~♪
2ステージ目のメインは、先ほども紹介した
tania ちゃん ↓ (⌒-⌒)ニコニコ...
← 左はベースの宗川さん♪
なんか、みょーにハイテンション???
では、盛りだくさんの2ステージ目のセットを~
1:素敵なあなた
Bei Mir Bist Du Schon
(バイ・ミア・ビスト・ドゥー・シェーン)
この曲は、1933年のイディッシュ語(ユダヤ人の言語)のミュージカルのために
ジェイコブ・ジェイコブスが作詞しショーロム・セクンダが作曲したもので、
本来は、アメリカのユダヤ社会以外では知られることなく終るであろう曲でした。
サミー・カーンは、アポロ劇場でこの曲を聴いた時、
イディッシュ語の歌詞が全くわかるはずのない黒人観客たちに非常に受けていたのが気にかかったので、
彼は帰りに楽器屋に寄って、この曲の楽譜を買ってきて、
トミー・ドーシーにこの曲をレパートリーに入れるように勧めたところ、
ドーシーはイディッシュ語の曲なんてダメだということで全く取り合わなかったと言います。
それで、カーンはこの楽譜を自分の家のピアノの上に置きっぱなしにしておいたのですが、
数日後、アンドリュー・シスターズの三人姉妹がカーンの家に来た時に、この楽譜に目をとめて、
その中の一人が「なあに、これ、どんな曲なの?」と言ったので、
カーンはそれを弾いて聴かせると、彼女たちはすぐに歌い始め、
「この楽譜をもらえないかしら?」と言ったので、カーンは「どうぞお好きに」と答えると、
彼女たちはすぐにその楽譜を持ち帰ったと言います。
そして、レコード化へと話は進むのですが、
レコード会社のワーナー・ブラザースは、イディッシュ語ではダメだということでカーンに英語の詞を依頼します。
そして、さらにレコード会社の要望で、コーラスと同じくらいの長さのヴァースを、
カーンとコンビを組んでいた作曲家のソール・チャップリンが作って、この曲は完成しました。
1937年、アンドリュー・シスターズのレコードはヒット・チャートで5週間も1位になり、
ミリオン・セラーになりました。
それは、彼女たちにとっても、カーンにとっても最初の大ヒットの曲でした。
翌年の1938年に、ベニー・グッドマン楽団がカーネギー・ホールでこの曲を演奏した時、
聴衆が手をたたき足でリズムをとり、ものすごい騒ぎになり、演奏が何も聴こえなくなったと言います。
カーンはユダヤ系なので、イディッシュ語を理解できたということが、
この曲を世に出すきっかけになったということです。
2:I can't give you anything but love
1928年、ブロードウエイでは最初の黒人ばかりのレビュー【ブラックバードオブ1928】に挿入されたもので、かなり古い。 黒人ばかりといっても出演者だけで、この作詞・作曲はいずれも白人である。
制作演出のリューレズリーは26年にロンドンでレビュー【ブラックバード】を成功されていて、いわばそのアメリカ版というところだった。
10年、20年代はまだロンドンが音楽界では幅をきかせていて、ロンドンでヒットすることがミュージカルやレビューの成功の条件だった。中にはアメリカで ヒットしてもたいていロンドンへ持っていって興行をうち、いわばお墨付きをもらうというようなケースもあった。このレビューは以後も続編が30年、33 年、39年と上演されるが、518回も続いたこの28年版ほどは成功していない。特に最後の39年のものはリナホーンが主演したが、たった7回で終わって いる。30年代から50年代かけてはアメリカは不況、戦争、右傾化という道をたどるかな、逆に黒人に対する差別も強くなっていく。太平洋戦争に勝利し、朝 鮮戦争へと入っていく時期はハリウッドのたわいないおとぎ話のような映画の全盛期でもあり、このころは黒人ばかりの映画は必ず失敗すると言われた。アンド レプレビンが音楽を担当した黒人ばかりのミュージカル映画「ポーギーとベス」も素晴らしい出来にもかかわらず失敗で、この不文律が口にされたものだった。 したがってこの28年版が成功したということには、もっと大きな意味があるのかもしれない。
3:Orange colored sky
1950 Nat king cole
道を歩いててある女に一目惚れしてしまう、その時の様子を歌った曲で、オレンジ色の空から稲妻が走って自分はそれに打たれ、ガラスが飛んできて天井はおちるわ床は抜けるわ、大変な曲のよーです。
曲の中に"Timber"と叫ぶところが出てきますが、これは木を切って倒れる時に「倒れるぞ!気をつけろよ!」という掛け声だそうで、自分が自分に「気をつけろ、あいつに惚れちゃいそうだ!」と言い聞かせる、そんな歌詞が出てくる曲です。
4:The five pennies ~ Lullabye in ragtime
時は1924年、禁酒法の時代。ユタ州の田舎からニューヨークに出てきたコルネット奏者レッドニコルズ(ダニーケイ)の物語。ニューヨークに出てきた彼 は、バンド仲間と、歌手の女性二人と、あるクラブへやってくる。そこで、飛び入りで、ルイアームストロングとリ・パブリック讃歌を共演する。
その後、彼はあちこちの楽団でコルネットを吹くが、自分のスタイルと合わないため、次々とシゴトを移っていく。そして、彼がリーダーとして作った楽団、 「RED NICHOLS & FIVE PENNIES」で新しいスタイルの音楽、デキシーを発表して大人気になる。FIVE PENNIESのメンバーがまたすごい。ジミー ドーシ、ベニーグッドマン、そしてグレンミラー。彼らは全米各地を転戦する。そんな時、一人娘が小児マヒにかかってしまう。娘をかまってやれなかった彼 は、自責の念かられ、バンドを解散、大事なコルネットを川に投げ捨ててしまう。そして娘のリハビリに専念する。しかし、娘の心は彼から離れてゆき孤独な 日々を過ごす。日々は過ぎてゆき、彼は造船所で働いていたが、家族の応援を得ながら再びコルネットを手にする。彼の復帰の舞台でこの感動のエンディングが 訪れる。今まで歩く事ができなかった娘が、、ついに立ち上がれるようになる。二人でダンスをする。バックに流れる、「五つの銅貨」…思わず涙が流れてしま う。
そして、ある夜、眠れない娘のために歌いかける。
5枚の銅貨に5つの願いを込めて…1枚めの銅貨は願いをかなえてくれる銅貨、2枚は夢をかなえてくれる銅貨、3枚めはダンスを、4枚目は笑いを与えてくれ、5枚めは一番大事な銅貨、愛を与えてくれる。そしてこの5枚の銅貨を持っていれば百万長者になれると。
Lullabye in ragtimeは、リコちゃん(↓)が歌いました。
5:今の私をみせたいわ
If my friend could see me now
映画「有頂天ホテル」でYOUが歌ってた曲ですよ~
6:Oldies medley
Vacation ~ Loco-motion ~ Mr.twister
これは、お客さん総立ちの中演奏しました~
みんな、とても喜んでくれてたなぁ~(⌒-⌒)ニコニコ...
7:東京ブギウギ
さっきのツイストダンスに輪をかけて
盛り上がりました。
演奏のバージョンは「ユニコーン」のツイスト
バージョンでやりました。
8:オジー自慢のオリオンビール
BIGINの曲。
かなり沖縄っぽい曲です。
この曲を、”さんしん”のゲストを迎え入れ
さらに沖縄チックにグレードアップさせ演奏~♪
あ~っ、タコライス持ってきてくれーっ!
9:キャバレー
1972年にアメリカで制作されたミュージカル映画。
1966年のオリジナル舞台版をもとに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが映画版を製作、1972年に公開された(舞台版とはとはエンディングが異な る)。同年度の第45回アカデミー賞では、サリー役のライザ・ミネリの主演女優賞、舞台版と同じエムシー役を演じたジョエル・グレイの助演男優賞、ボブ・ フォッシーの監督賞など、8部門を受賞した。
この曲も、やり応えありました。
10:クリスマスメドレー 2001
まさに初見一発で頑張りました。
最後の最後まで、集中しっぱなしぃ~
以上のメニュー♪
( ̄u ̄;) ハァハァゼェゼェ…
でも、楽しかったなや~っ♪
この日遊びに来てくれた「ゆきんこ」ちゃんと彼。
私が器材を片付けていると.....。
ゆき:「ヘルニアが~ヘルニアがぁぁぁ~」
彼:「っしっしぃぃ~」
という音声が聞えてきたので、写真とりました。
意味は?です。↓
ステージが終り、半ば壊れていた宗川さん~
↓
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